読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

クレラー・ミュラー美術館で印象に残った作品

今回クレラー・ミュラー美術館で印象に残った作品の幾つかをメモに残す。

この37年で4回ぐらいはここに来ていてその度に印象に残った作品が数々ある。 最初はやはりゴッホの作品群だった。 アムステダムのゴッホ美術館でも大量に観ているけれどその環境が観る者にとって最良のものと言えずよっぽど静かでなければもうそこに行くことはないと思っているけれどそれは作品に依るのではなくその展示方法と世界から押し寄せるあまりにも多い観客に圧倒されるからだ。 

今回ゴッホに関しては「耕作地の花とバラによる静物(1886−1887)」と題された花の絵が印象に残った。 ゴッホの特徴がここには殆ど見られることなく17世紀のオランダ絵画にみられるようなバラの雰囲気が下部に、20世紀になっても続くような印象派の様子が上部耕作地の花にみられ、当時にしてみるとこれなら売れるのではないかという感じもするけれどそうなるとちょっとしたその頃の画家なら誰でも出来そうで、これなら小市民の家の居間を飾る絵画には成り得ても芸術意識をもった中産階級の食指に訴えるかどうかそれが問題のようにも感じるのだ。 結局これも当時売れなかったのだ。 2017年に生きる我々はゴッホが世界中の美術愛好家を引き寄せる存在であることを承知し、そんな眼で彼の特徴ある絵の印象をもって眺めるのだがその眼を暫くどこかに預けて置いて19世紀の小市民の眼で判断するならこの彼の作品を買おうという気になるかどうか、そういう意味では生涯売れなかった彼の絵画のなかでは一般に売れそうな作品として目の前にあるのではないか。 ただそれが現在の我々にはゴッホの作品というお墨付きがなければ見過ごしそうに\xA4

覆觴鑪爐里發里任△蝓△修Δ任△襪ǂ蕕海祝楮遒⓴枡發蚤召琉晥歿匹虜邁箸燭舛虜酩覆ǂ薀乾奪曚虜酩雰欧貌海嘻麩④砲気蠅欧覆嚳類蕕譴討い訶玄┝圓琉嫂泙眤❹蕕譴襪箸いΔ發里澄\xA3

今回行ったり来たりして観た中で最も印象に残ったのがルドン作キュクロープスだった。 この作品については下の解説が詳しい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%97%E3%82%B9_(%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%B3)

美女を覗く巨大な怪物はつぶらな一つ目で、同様な巨人が背景に現れる例としてゴヤの巨人があるけれどその印象がまるで違うのはモチーフがそもそも違うのだからそれは当然のことであるのはいうまでもないけれどここでは絵の前に立つ我々は美女の驚きというより一つ目に惹かれこの巨大な怪物の美女を眺める内面に入り当惑するようでもある姿に親和性を示すことになるのではないか。 いわゆる「美女と野獣」とも一味違うようなものであり、それはひとえに一つ目の表情から来るものだろう。 けれどその顔、表情自体はどちらかというと稚拙なものであり絵画全体の芸術的処理、当時の美術・芸術界の緊張からも外れた奇妙な感情をもたらすものだ。 それはゴヤの巨人が野獣というより人間を巨大化し人間的な憤怒の情を感じさせるものとの対比ができる種類のものであるし、またその絵画全体が当時の社会・政治的な緊張を反映した重厚な芸術として受け入れられた作品でもあるという違いもある。 

6年ほど前に地元の作家から買った絵がありそれもこの二作に通じるようなものがあるのかもしれないとふと思った。 眼がないような主人公にどこか親和性を感じることからこれが今回ルドン作のキュクロープスの前を何回も行ったり来たりさせるもととなっていたのかもしれないとも思った。 

https://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/62222450.html