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自分の価値観で他者を判断しない

なんでもかんでも火力の強い焼却炉でバンバン燃やしちゃえ、

という当今の傾向がある中、

私の住む調布市は、ゴミの分別をしっかりする。

「燃やせるごみ」と「容器包装プラスチック」は分ける。

仔犬の頃、人が留守にしている間に、ごみを散らかしてかじって遊ぶ、

ということが流行った。

かまってくれる人がいないし、何かを咬むのは気持ちいいし、

プラは特に音がして面白いし、後で見つけたらなんか人間も興奮して楽しんでる様子だし、

といったところが仔犬の気持ちだろうか。

ごみを散らかされても、どうでもいいことの振りをして、

落ち着いてただ片付ける。

帰宅して、床中に散らばったごみくずを見るのはひどくショックだが、

そこで感情をあらわにしてはいけないようだ。

なにした!なんて大声でもあげようもんなら、仔犬たちは

「ね!ね!すごいでしょ!楽しかったんだよ!」と喜んで

飛び付いてくるだけだ。

知らん振りしていれば、そのうち面白くなくなって、やめる。

おとなになってゆく。

やんちゃな雌犬カバサが去年7月に世を去って、

一匹のこされたおとなしい雄犬ジーロは、

さびしそうかと言えばそうでもなく、

今まで緊張し続けていたのが解けて、リラックスしきって

最高の席を陣取っている。

が、退屈は退屈なようだ。

毎朝目が覚めればひとしきりドタンバタンと相撲を取った。

ひとしきりというのは、もちろんカバサの気分次第だ。

カバサが飽きれば、ジーロがまだ興奮していても、終了。

ひとりきりになる、ということは今までには無かったことだ。

常に奴がそばにいた。

退屈する暇は無かった。

カバサは人目が無いと、食卓や調理台の上の食べ物をかっさらう。

そんな時、ジーロはちょっと離れた所でオロオロしている。

「そんなことしちゃだめだよこわいよ叱られる」

カバサを叱っても、ジーロは向こうのほうでビクビクする。

それが、一匹になって、人間二人ともが外出したら、

つまらなくてしょうがない。

人目が無い時に、子どもの頃よくやった遊びをするようになった。

ごみをかじる。

「ジーロはおばかさんね。悪い子ね。」

と、母は言う。

ジーロは特に理解の悪い犬ではない。

荒らされたくないのなら、ごみが犬の口の届かぬように置けば良い。

提案するが、母は受け入れない。

悪い子ではない。ただの犬だ。

ひとりぽっちの時間を、仔犬の頃のように楽しく遊びたいだけだ。

悪いのは、自分にとって都合が悪いという意味に過ぎない。

子ではなく犬である。

犬と言わず「子」と言うことで、自分の陣地に取り込んでしまっているのだが、

子もそもそも他者であることは忘れている。

実際に子である私も同じように、母自身の価値基準で評価されていることがにじみ出る。

犬には犬の理由がある。

犬の視点を受け入れてやらないと、犬を理解することはできない。

しかし、犬の習性を知り、犬の欲求を認め、

犬の立場を理解すれば、うまく人間社会の中で犬が生きるようにできるのだ。

それは社会が飼い主に求めることでもある。

人間同士も同じことだと思う。

他者は他者その人の尺度で見ればそれで充分であり、

自分の価値観にあてはめて見ると、相手が悪い者に見えたり馬鹿者に見えたりする。

しかし、相手の価値観を理解すれば、うまく関係していく道がひらけてくる。